2016年6月17日金曜日

あの頃、僕のシネマ パラディーゾ: 「アウトサイダー (原題 The outsiders)」


今回紹介する映画はこれまでの作品にくらべると、ずっと新しい作品になります。
トーマス・ハウエル、ラルフ・マッチオ、マット・ディロン、パトリック・スウェイジ、エミリオ・エステベス、
ロブ・ロウ、トム・クルーズ、そしてダイアン・レインなど、
後にハリウッド映画を代表するスターたちがまるでタイムスリップして同窓会をしているような作品。
それが今回紹介する1983年制作の映画 「アウトサイダー 原題 The outsiders」です。
彼らの若かりし新人時代の演技を見ることができる貴重な作品です。

この映画を最後に観たのはいつだったか?
何れにしてもかなり前のことは確かです。



フランシス・コッポラ監督の作品で、これほどのスターを揃えながら、
不思議なことに、当時は期待したほどのヒット作品にはならなかったのです。
評論家の前評判も酷評が目立ち、出だしからつまずいた作品のようです。


作品が制作された年代(1983年)からすると、日本ではVHSやβのビデオが全盛のころで、
レンタル・ビデオショップが流行っていましたね。
確か、レコードに代わりCD(コンパクト・ディスク)が販売されたのも、この1983年だったように記憶しています。
そう、この時代ってメディアの転換期で、大きく動き始めた時代だったんです。

そんな訳で、わたしもレンタル・ビデオショップでこのビデオ「アウトサイダー」を借りた記憶はあります。
でも、映画の印象は正直なところあまり残っていません。
当時は1日1~2本は借りて観ていましたから、無理もありませんが。
何かその頃は義務感のように映画を観ていたような気がします。
日常のルーチン業務のように。
いま思うと「よくそんな時間があったな~」といった感じです。

それから何年かして偶然に、
スティービー・ワンダーが歌っているこの映画のテーマ曲「Stay Gold」を聞いたのです。
その時はとても感動したのを憶えています。
でも、この時は「Stay Gold」という曲と映画「アウトサイダー」との関連付けができていませんでした。
ようやくテーマ曲と分かった時点で、もう一度映画を観たくなりDVDを買いました。

それ以来、スティービー・ワンダーのアルバムをかなり調べたのですが、
この曲が収録されているアルバムは不思議なことにありませんでした。
シングル盤も発売されず、彼のベスト盤にも入っていなかったのです。
ですから、当時はレコード会社の何らかの事情、意図があってのことと思っていました。
結局、iTunes Storeで単発で購入したのですが、
今思えば、映画のサントラ盤を探せばよかった訳です。

この曲はスティービー・ワンダーがこの映画のために書き下ろしたオリジナルで、
映画全編にわたって流れる切なく悲しい旋律が印象的な曲です。
スティービー・ワンダーの声質でなければダメという人も多いのではないでしょうか。

映画に於ける音楽の役割がとても重要なことは、改めて言及するまでもありませんが、
こんなにも映画と一体となり、情景を盛り上げ、観ている人の心に迫る曲が、
どうしてあの時スルーしてしまったのかは、私自身も信じられません(屈辱感あり)。


さて、テーマ音楽についてはこれくらいにして、本来の映画についても触れておかなければなりません。
原作は米国の作家S・E・ヒントンの小説をコッポラ監督が一目惚れし映画化したものです。

舞台はオクラホマ州タルサ(原作者の故郷でもある)という小さな町。
画面は全体を通してセピアカラーで統一されていてアメリカの古き良き時代を感じさせます。
恋愛、暴力、親子関係などを題材にしていて、多くの若者が抱える苦悩や葛藤がテーマになっています。

トーマス・ハウエル演じる主人公ポニーボーイの回想シーンから始まり、
そこに戻るという形をとっています。
その中で重要なキーワードになっているのがStay Gold(ロバート・フロストの詩 Nothing Gold Can Stay)です。
スティービー・ワンダーのテーマ曲とともに、この映画が一貫してわたしたちに訴えかけるメッセージととれます。
つまり「この世の中には純粋さや汚れない美しさというものはいつかは失われるもの」
だからこそ、それに立ち向かう「Stay Gold(いつまでも純粋でいて!)」ということが大切なんだと。
この言葉は、火事で子供たちの犠牲になり無念の死を遂げた、もう一人の主人公ジョニー(ラルフ・マッチオ演じる)の口から最期のメッセージとして語られます。

さらに相前後しますが、朝焼けを背景に「Nothing Gold Can Stay」の詩をつぶやくポニーボーイのシーンもまたとても印象的で感動します。
コッポラ監督が最も描きたかった場面ではないかと想像できます。

改めてこの映画「アウトサイダー」を観てみると、映画の作りとして多少荒削りなところがあり、
ストーリーが曖昧になるところもありますが、決して安っぽい映画だとは思いませんでした。
映画の完成度という点で、当時青春映画の代表作になり得なかったのかもしれません。
そのためか、テレビ等でもあまり観ることができない作品ですので放送の際は要チェックです。

皮肉なことに、この映画の中ではふたつの死が描かれます。
暴力を最も嫌ったジョニーと暴力を日常としていたダラス(マット・ディロン)のふたりの死。
まったく気質の相反するふたりが、死という共通の結末によって永遠の「Stay Gold」を掴んだように私には思えました。

それにしても、この映画に集った若手俳優たちが、この映画の後ことごとくビッグになり、
彼らすべてが磨きをかける以前の「Gold」の塊だったことを、撮影当時に想像できた人は果たしていたのでしょうか。
そんなことも考えてしまう感慨深い作品です。
こんな作品に出会うと映画の見方が変わりますね。
(cinema_003)
2016/06/17 JDA

2016年6月9日木曜日

モハメド・アリの思い出

6月3日、元世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリ氏が亡くなった。
アリの名前を聞いて思い出すのは、やはり当時無敵と言われていたジョージ・フォアマンと対戦した「ザイール(キンシャサ)の奇跡」と呼ばれているあの試合である。

当時、大学生だった私は数人の仲間と友人宅でテレビ観戦したのをいまでもハッキリと憶えている。
圧倒的なハードパンチをもつフォアマンに対し、既に全盛期を過ぎたアリは絶対的に不利というのが大方の予想だった。

私自身も、さすがのアリもフォアマンの前では一溜りもないのではと不安な気持ちで観戦していた。

テレビの画面では、無敗の王者に挑むアリの勇気だけが無謀に独り歩きしているように思えた。
私には、それはまるでお釈迦様に挑む愚かな孫悟空のように見えた。
しかしながら、その勇気が何とか彼の面目を保っているかにも感じられた。
僅かな期待感はあったのである。

試合の前半は予想通りアリはフォアマンのパンチに圧倒され、防戦一方だった。
誰もがアリの勝利はないと思ったに違いない。
そんな中、8ラウンドに奇跡が起きる。
明らかに打ち疲れしたフォアマンにアリは襲い掛かった。
それは一瞬の出来事だった。
フォアマンはマットに沈み、レフェリーの10カウントが数えられ、アリは勝利したのである。
それは信じ難い光景だった。

こうした彼の試合スタイルや生き方に感化されないファンが果たしていただろうか。
とにかく、カッコよかった。誰もが彼に憧れた。
彼が一時代を築き、その時代の最大のヒーローだったことは確かだ。


そんな彼には「ザイール(キンシャサ)の奇跡」とともに語り継がれている伝説がもうひとつある。
それは、ローマオリンピックで金メダル獲得しアメリカに凱旋した際、
黒人に出す食事はないとレストランで入店拒否され、
首にかけた金メダルは何の役にもたたなかったとオハイオ川にメダルを投げてしまった事件。

これはあまりにも有名なエピソードだが、実は作り話だったという。
しかし、アリを以ってすると作り話が真実以上に真実味があるのだから不思議だ。

このエピソード(その時は少なくとも実際の出来事と思っていた)は、私にとって衝撃だった。
大袈裟なようだが、その後のわたしのものの考え方や生き方に大きく影響したといってもいい。

ところで、少年期までカシアス・クレイ(粘土、土)と名乗っていた本名は、黒人奴隷の象徴的な名前であったようである。
恐らくその頃の彼にとっては耐え難い名前だったに違いない。
そのため、白人社会(キリスト教)と決別するために彼はイスラム教に改宗し、
モハメド・アリと改名するが、その精神は現代社会に存在している一部の歪んだイスラム教とは異質の、まったくの純粋な考え方だったに相違ない。

ベトナム戦争の徴兵拒否(反戦)や人種差別反対など彼がとった一連の言動は、
まさしく母国アメリカを敵に回す行為で、当初はアメリカ社会の批判を浴びたが、
彼の粘り強い活動で理解者を増やしていったという。
彼がアトランタ五輪で最終聖火ランナーに選ばれたのも、そのひとつの現れといえる。

ボクシングという手荒で過激なスポーツを愛しそれを生活の糧としながら、
心に抱く理想は「平和」そのものだったところがあまりに対照的で皮肉だが、
エキセントリックなアリらしくてカッコイイと私は思っている。

いまの世の中、見かけ倒しの人間が多いけれど、一見悪に見えて実は正義の味方的な人間に心惹かれるのは私だけではないだろう。

そんなアリだが、わたしはひとつだけ感心できないことがある。
それは彼の試合前の相手ボクサーを罵る行為である。
確かに、ボクシングの試合もひとつのショーなので、盛り上げるためのパフォーマンス(それがアリの魅力であり人気を高めた要因であったことは確かだ)であり、自信を鼓舞する手段だったのかもしれないが、どんな理由であれそれは頂けない行為だと私個人は思っている。
彼の試合は多くの人たち(子供たちも)が観ていたのである。
その影響は計り知れないはずだ。

人と人が殴り合うという一見野蛮な競技が、ルールを遵守しクリーンに行えばこんなにも素晴らしいスポーツになったのだということを彼にこそ証明してほしかった。
そのことが残念でならない。
そうした諸々のことを考えると、「The Great」と呼ばれた偉大な男も、ひとりの弱い人間だったのかもしれないと思えてくる。

ご冥福をお祈りいたします。
2016/06/09

2016年4月14日木曜日

ジャケ買い天国: シリーズ第5弾「ジュリアン・キャノンボール・アダレイ  ソフィスティケイテッド・スイング」



JULIAN "CANNONBALL"ADDERLEY  SOPHISTICATED SWING
ジュリアン・キャノンボール・アダレイ  ソフィスティケイテッド・スイング


SIDE-A
1.ANOTHER KIND OF SOUL
2.MISS JACKIE'S DELIGHT
3.SPRING IS HERE
4.TRIBUTE TO BROWNIE

SIDE-B
1.SPECTACULAR
2.JEANIE
3.STELLA BY ATARLIGHT
4.EDIE McLIN
5.COBBWEB

<アーチスト>
ジュリアン・キャノンボール・アダレイ(as)
ナット・アダレイ(tp)
ジュニア・マンス(p)
ジミー・コブ(ds)
サム・ジョーンズ(b)
録音:1957年2月7、8日

昨今のアナログ(レコードなど)ブームは安易なトレンドとしての懐古趣味ではなく、地にしっかりと根付いた本物なのかも知れない。
その動きはレコードに留まらず、カセットテープにも及んでいるとか。
ほぼ同時期に注目されだした話題のハイレゾブームよりも、大きな潮流になっているように私には思える。

数ヶ月後には、復活したあのオーディオブランド「Technics」から、ターンテーブルの名器「SL-2000シリーズ」が限定モデル含め販売されるということも大きな話題で、こうした動きはレコードブームを牽引する強力な要素になることは間違いないだろう。
というか、企業としてのマーケティングが、「こうした今の流れは長続きする」という判断を下したのだから、期待してよいのだろう。

数年前までは寂しい店内だったDISK UNIONなども、最近ではいつも盛況そのものである。
明らかに何かが変わってきている。


そんな前置きはともかくというか、その流れに乗ってというか、今回紹介するアルバムはCDではなく、LPレコードである。
選んだのは、表題のアルト・サックス奏者キャノンボール・アダレイの「ソフィスティケイテッド・スイング」
このアルバムはわたしのレコード購入歴で一番最後に買った記念すべきレコードである。
ただ、このコーナーのタイトル通り「ジャケ買い」だったかどうかはあまり自信がないのだが、当時のことを考えつつ記事を書きながら思い出すこととしよう。


1980年代はじめ、時代はレコードからコンパクトディスク(CD)にシフトしつつあった。
この頃、ほとんどのアーチストの新譜はレコードとCDの両メディア媒体で発売され、徐々にその割合はCDに偏っていき、最終的にレコードはその姿を消していったのである。
そんなレコードにとっては世紀末的な時期に購入したのが当LPレコードだ。
記憶では、この時期私としてはもう完全にCDに切り替えていたので、ここで改めてひとつの疑問が浮上する。なぜLPレコードを買ったかという。

考えられる購入の動機と言えば、言うまでもなくジャケットに惹かれてと言いたいところだが、正直なところその記憶は定かではない。
その他にも、このLPが<新星堂ジャズ・コレクション・スペシャル>のⅢとして完全限定プレスとして発売されたという経緯なども捨てがたいが、果たしてどうだろう。
確かに、私は限定と銘打つものに弱いのは確かである。(余談だが、ソニーがPC界から撤退すると聞き、VAIO_の最終モデルを慌ててネットで購入したものの、その後VAIOはソニーから独立し独自生産の途をたどるというどんでん返しがあった。)


改めて申し上げると、LPレコードジャケットはCDのそれと比べインテリアの役割をしてくれて便利だった。鑑賞用としてはCDよりもLPレコードの大きさが必要なのである。
当時、キャノンボール・アダレイといえば、マイルス・デイビスの実質リーダーアルバムだった「サムシン エルス SOMETHIN' ELSE」に参加しているアルト・サックス奏者程度の知識しかなくて、勿論、彼に惹かれて購入した訳でもない。
この点は確信が持てるのだが。



添付の原田充氏によるライナーノーツによれと、このアルバムはキャノンボール・アダレイの初リーダーアルバムだったそうだ。氏はジャケット写真のメルセデスと美女のお尻から”お尻のキャノンボール”と呼び、愛聴していたとか。
私が購入したのはその再発盤で、そんな状況など何も知らずに買った私はなんと無知だったことか。
もしかしたら、購入当時はレコードに一度も針を落とさなかったかもしれない。
勿体ないことを・・・

その後何年かして聴いてみて、名演であることに気付く。
だが、その頃にはターンテーブルにガタがきて、聴きたくても聴けない破目に。
やがてCD一辺倒となり、またまたこのアルバムは忘れ去られる運命にあったのである。

そして何年か前に、ターンテーブルを購入し久しぶりに針を落としてみた。
ターンテーブルのほのかなライトに照らされながら、レコード盤が回転する光景を眺めていると、懐かしさと伴に、ゆったりとした雰囲気に包まれ何とも贅沢な気分を味わうことができた。
その上、演奏の方もご機嫌ときているから言うことなし。
50、60年代のハード・バップ系からファンキー・ジャズに至る代表的な演奏で、こうしたジャズは今でも十分に楽しませてくれる。
ジャンル分けは好きではないけれど、こうしたアルバムを聴いていると、モダン・ジャズと呼ばれたこの時代のジャズは、クラシック音楽のように時代を超越した永遠の存在になったと言って過言ではないだろう。


ところで、こんな名盤がどうして長い間陽の目を見なかったのか(再販やCD化されないなど)。
それはとても不思議なことだが、先ほどのライナーノーツを読むと合点がいく。
その訳は私にとってはとても皮肉なことなのだが、同時にえらく納得できる理由でもあったのだ。

わたし自身、このアルバムの購入動機はジャケ買いだったと思っているが、どうやらその辺りの事柄が大いに関係しているらしい。
むかしはジャズのジャケットと言ったらモノクロ系の渋めのものが一般的で、名盤と言えばそうした地味なジャケットに多かったのも確かだ。
先ほど触れたアルバム「サムシン エルス SOMETHIN' ELSE」はその典型例かもしれない。
アルバムタイトルとアーチスト名をデザイン化しただけの何とも単純で味気ないジャケットだ。

それに対して、今回紹介のアルバムのようにセクシー美女を前面に出した美麗ジャケットは、ジャズの正統派からすると、あまりに軟弱で評価の対象にすらならないという結論なのだろう。
レコード会社もその辺の理由から、再販を敬遠していたようである。
いわゆる「売れない」と判断されたのである。
とは言うものの、一方で美麗ジャケットもまたジャズの代名詞であることは事実で、私同様に「ジャケ買い」をポリシーにしている人は少なくないはずだ。
こうしてみると、ジャズというのは何とも奥深く興味の尽きない世界と言える。


時代の流れに取り残され消えゆく運命にあったレコードを惜しむという、当時は単純でセンチメンタルな気持ちでいっぱいだったのだろけど、今思えばこのLPレコードを買うにあたり最後に背中を押したのは、やっぱりジャケットの魅力だったと思う。
そして、そんな不純な(?)動機で購入したアルバムが、名演奏を繰り広げてくれるのだからラッキーとしか言いようがない。これこそが「ジャケ買い」の醍醐味だと正当化する。
またまた、次なる「ドジョウ」を探し求め、柳の下へと赴くこととしましょうか。

追記
当時からこのジャケットは画像のクオリティが良くないと感じていたが(掲載したジャケット画像は小さいので分かりづらいと思うが)、再販にあたりやはりジャケット絡みのやむを得ない事情があったようだ。 
ライナーノーツによれば、完全オリジナル復刻にあたり、制作会社に保管されているはずのジャケットのフィルムが見つからなかったとのこと。程度の最もよいオリジナル盤を転写し代用したというエピソードなども書かれていて、長年の疑問は何とか解決できた。
更に蛇足だが、その画像自体は合成画像だったそうだ。